余市の概要/PRポイント

余市町とは?

海と山に囲まれた余市町

余市町は日本海に向かって突き出し、「積丹ブルー」と呼ばれる綺麗な海の色が特徴的な積丹半島の基部に位置し、道内でも比較的温暖な気候に恵まれた土地として知られている。
余市湾の西側に張り出し、その突端は急峻な断崖となり、余市のシンボル的な存在となっているのがシリパ岬。人口は約17,000人。

シリパとはアイヌ語で、sir=山、pa=頭の意味 夕日が落ちるシリパ岬はサンセットダイヤモンドヘッドとも言われている絶景。
まるで天から海へと突き刺したような海面から真っ直ぐ立つ姿をしている余市の「ローソク岩」。

朝日がちょうどローソク岩の上にかかった瞬間が、まるで本当に火がついているように見えると話題になった。
北海道の昔話の中にも登場するほど歴史が古い。高さ40mを超える。

豊かな自然が生み出した産物

余市は梨・ワイン用葡萄の生産量は全道1。りんごも道内1の生産地で明治初期に開拓者により日本で初めてりんご栽培に成功したという歴史がある。

海産物が豊富な余市町。ニシン漁により発展し町の基礎を築いてきましたが、ニシンは昭和29年の漁を最後に余市湾への回遊が途絶え、今では幻の魚に……。

現在はニシンに代わって、えび・いか・かれい漁などが盛んに行われている。2021年、海岸で群来が確認されている。
(産卵期を迎えたニシンの群れが押し寄せてきた)2022年、余市町に新たなブランド牡蠣「余市牡蠣」が誕生。
ふっくらと丸みを帯びた形をした身がぎっしり詰まった一口サイズの牡蠣。
余市ではワインを中心に地のものとセットで楽しむ「余市スタイル」を提唱し、今後PRしていく予定。

100年以上続く
藤本農園の歴史

初代 丑太郎(うしたろう)

入植、そして開拓

郵便局の配達をしながら開拓した丑太郎は入植当時は除虫菊を作っていた。
当時は現代のように農業機械や便利な道具が発達していなかった為に、手作業で今の土地を開墾。

藤本農園、後のVergerNobori1976の礎を築いた先駆者である。

二代目 寿夫(としお)

農林水産大臣賞の受賞

丑太郎から引き継いだ寿夫は、りんごを中心に栽培。
丹精込めたりんごは町内外からの評価も高く、様々な品種にチャレンジ。
特にアメリカ生まれの品種「スターキングデリシャス」は全国規模の品評会にて余市町で初となる、「農林水産大臣賞」を昭和33年に受賞。

現在のりんごの育成の糧だけではなく、余市がりんごの一大生産地域という事を証明した結果となった。

昭和33年頃の畑の風景
2代目と3代目(農林大臣賞)
2代目と3代目
昔のりんごの木は今と違って大きかった
昭和30~40年頃に使っていたトラクター

三代目 誉(ほまれ)

観光果樹園への転換

生産農家として営農してきたが、多くの方々に畑へのに親しみを持ってもらいたい思いから、昭和60年より観光果樹園をスタート。
初夏のいちご・さくらんぼから始まり、秋にかけてもも・ぶどう・りんごの果物狩りはもちろんの事、ジンギスカンコーナーや、梅漬けやジュース・ジャムなどの加工品も販売し多くの観光客で賑わいをみせた。

又、当時は珍しかった、りんごの木のオーナー制度を開始。
生産農家に戻った現在でも様々な注文を頂くほどコアなファンが多い。

そして、その想いは4代目へと引き継がれる……。

3代目
3代目とその息子(孝裕)
3代目
藤本果樹園の剪定の風景
初の一体型のスプレーヤー

四代目 ㈱北海道アグリドリーム

先人が残した伝統と新たなチャレンジの融合

3代目までが作り・守り続けてきた、良質な果樹はこれからも作り続け、新たなチャレンジとしてワイン用ぶどうにも着手。
将来的には醸造所としてワインやシードルといった酒類の加工・販売を目指していく。

そして、素晴らしい歴史を残してくれた先人達に恥じぬよう地域に貢献していく。

4代目
ワイン用のブドウ畑
フルーツビレッジ余市
収穫前のりんご
収穫前のぶどう

Verger Nobori 1976への
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